本日のテーマ
好きの反対は嫌い・・ではありません。
好きの反対は、無関心です。
この言葉の真意は、
意識がそこにあるという意味では、好きも嫌いも同じだ。
良くも悪くも意識してもらえている。
嫌われたって、意識してもらえないよりはいいだろう。
・・というところから、「好きの反対は無関心」となります。
それは同時に、「嫌いの反対も無関心」ともなりますよね。
階層を意識して考えてみると判りやすいかもです。
同じ階層に、好きと嫌いがあります。
その一つ上の階層に、「関心がある」が存在します。
「関心がある」というグループの中に、「好き」とか「嫌い」というものが存在する。
同じ階層、同じグループ内のものを比べて、好きの反対は嫌いとなるのは自然でしょう。
でも、、
「好き」の上の階層に存在する「関心がある」
「関心がある」の反対が「無関心」
故に、、好きの遥か上の反対側には無関心というものが存在するけれども、
好きの反対は無関心・・という違う階層のものを比べるのは無理がありませんか?
間違いでもないけど、物事をフラットに見ていないかもしれない。
好きの反対は紛れもなく「嫌い」です。
普段、なんとなくのイメージだけで何かを捉えていると、
頭の中がゴチャゴチャになっていることにも気づかなくなっちゃいますよ。
自分が何について悩んでいるのかすら解らなくなる。
長いトンネルで出口が見つからない。。
そうなると、またなんとなく思う方向へ進み続けるしかありません。
なんとなく・・はきっかけに過ぎず、なんとなくだけで進み続けてはいけない。
その「なんとなく」をちゃんと考えてはっきりさせる。
整理して仮説にして、それをまた検証して形にしていかないと、
あなたの求める何かには辿り着かないと思います。
べき論は駄目ですか?
あなたは、べき論はよくない・・って思っているかもしれないですね。
目的によっては、べき論は必要だし、そうでない場合もあるでしょう。
いつでもどこでも「べき論」を否定している人は、物事を整理できていないんだと思います。
あなたが今やっている活動はなんのためのものか?
それを考える時に、ちゃんと整理できていますか?
今の自分や自分の生活に満足していない。
それらを変えたい、変わりたい。。
そんな風に思っているのなら、今の自分を認めてもらう必要がどれだけあるでしょうか?
本当に変わりたいのなら、今の自分と違う世界に飛び込んだ方がいいですよ。
僕の投稿を読んで、心ざわつかせるのもそうです。
ざわざわすることが成長に繋がります。
今の自分を認めてくれる人、褒めてくれる人、
今のままの自分を応援してくれる人同士で集まっていても何も変わりません。
変わるわけがありません。
今のままの自分が好きなんだから。
今、これを整理できない人が読むと、批判的に受け取るかもですね。
僕は、「変わらなきゃ駄目だよ」って言ってるわけじゃないし、
承認欲求が強いことを批難しているわけでもありません。
あなたの目的がそれなら全然いいし、僕も応援します。
僕が言っているのは、あなた本来の目的と、あなたの行動が本当に繋がっていますか?・・ということです。
自分が正しいということを確かめるがために、同じ意見を持った者同士で寄り添っているんでしょう。
誰にも否定されたくないよね。
そういう人の本当の目的は、人生を変えたいとか、自分が変わりたいではないと思います。
その自覚もないから行動が出来ない。
努力なんてできないし、する必要もない。
これは僕のクライアントさんに限ったことではありませんが、、
「根本さんみたいになりたいです」と僕にあこがれて、、何かの指導を受けにくる人がいます。
ビジネスで成功したいとか、面白い文章を書けるようになりたいとか、
それなりの目的は持っていますがそれは表面的なものだったりします。
本人も気づいていませんが、心の奥底にある本当の目的は、「根本さんに認められたい」なんです。
成功したいとか、何かのスキルアップをしたいなんてのは嘘・・とまでは言いませんけど、上辺のもので、
僕に褒めてもらうことが一番の幸せだったりします。
誰でも承認欲求はあるし、それが強すぎようが構わないと思います。
承認欲求をバネにして頑張れるのならそれでいいでしょう。
でも、
その承認欲求が目的になっているとしたら、変われるわけがない。
変わる必要もないんです。
僕はその人の「変わりたい」という目的のために、ダメ出ししたり、べき論を言ったりもします。
ちょっと厳しいことを言われると、すぐに傷ついたり、
承認欲求を満たすという目的を果たせなければ、怒り出して消えていきます。
そこは否定されたくありません!とか、
根本さんにそんなこと言われたくありません!とか・・
これね、、解る人には解るんだけど、解らない人には解らないんです。
僕の言葉がどこから来ているのか?
本人に直接お話する時に、僕の価値観を押し付けることはありません。
僕がするのは、客観視した上での否定です。
客観視、、というか、、まさに今日のテーマがそうですね。
好きの反対は無関心ではありません・・と否定しましたけど、
僕は自分の価値観を押し付けているでしょうか?
認められたい・・が目的になっている人はそう感じてしまうのでしょう。
その人は人生を変えたいわけじゃないし、
自分が変わりたいのでもない、スキルアップのためでも何でもない。
そして、やっぱり元の鞘に納まるというか、承認欲求を満たせる居場所へ戻って行きます。
物事をちゃんと整理して考えられないと、
偽りの目的に向かって無駄なお金や時間、無駄な労力を使い果たすことになりますよ。
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心・・だと本気で思っていませんか?
好きのずっと上の階層の反対側に位置するものが、無関心というものです。
好きの反対は紛れもなく嫌いです。
「好き」の同じ階層内にある言葉の中で、正反対に位置するものは「嫌い」なのであります。
こういうことを一瞬でというか、普通に整理して理解できない人は、
自分の周りに起こるあらゆる出来事に対しても、ある意味歪んだ捉え方をしてしまいます。
ある意味・・と曖昧にしたのは僕の気遣いです。(笑)
整理して理解できなくて怒っちゃう人に対しての気遣いです。
物事をちゃんと階層分けして、整理して考えられるようになるだけでも人生は変わります。
そうやって考えられる人生と、考えられない人生・・違って当然です。
誰かに攻撃されたと勝手に思い込んで離れて行く。。
「こんな人からは一刻も早く離れましょう」って、推奨している人もたくさんいますよね。
でも、それであなたは本当に自分らしく生きられますか?
その場から逃げ出せば、確かに楽になれるけど、
そうやって自分の居場所がどんどん狭くなる。
考えることを止めてしまった人たちの末路です。
今が辛ければ一時避難するのもしょうがないことですよね。
でも、その辛いという思いは誰かのせいですか?
自分は本当に被害者かもしれないし、そうでないかもしれない。
辛いと思うのは、そもそもの目的でない行動を取っているからかもしれない。
責任を自分で負う必要はないのに、自分を責めているのかもしれないし、
誰かに責任を押し付ける必要もないことを、誰かのせいにしているのかもしれない。。
もしかしたら、悩む必要のないことで悩んでいるかもしれません。だけど、、
もしかしたら、悩む必要のあることに、あなたはちゃんと向き合えてないのかもしれない。
あなたは向き合うべきことに対して、どれだけ向き合うことができますか?
それが出来れば、あなたはどこに逃げる必要もないし、いつも自分らしくいられます。
そのために深く考える・・
深く考えるとは、考えても意味のないことをグダグダと考えることではありません。
どんなことに対してもフラットに捉えて、階層を整理して、丁寧に向き合うということです。
どうか考えることを諦めないでください。